huit



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                                 あとがき  文:久冨太一

洋服について少し自分の事を思い出してみました。
全くといっては嘘だけど、今も昔もひどく詳しくありません。
人の真似をして、友達の話を聞いて、雑誌をみて、買える範囲で
欲しい物を買ってきました。洋服に対して普通の少年だし、普通の大人です。
初めて自分のお金で買ったのはセーターだったと思います。
もちろん普通のだし、柄や銘柄よりもチクチクした記憶の方が
思い出になっています。
 
洋服とは色んな人の足跡のある物や、
そのブランドの匂いのある物があります。
でも、深く身構えるとするりとかわされ、
気まぐれな性質の、まるで猫のような側面があると思います。
宮原さんと出会って、店内を見渡して見て、
その時々で旬の物というよりは
宮原さんの気になる物しか考えてないのかなと思いました。
それよりひんやりとした硬質な空間に必要な物、好いと思う物を、
自分のショーウインドウでみんなに魅せたい。
そんな男の子っぽい魅力が強いお店だと感じます。
そのパンツならあっちのお店にあるよと。
 
敏感なお客に敏感な物を紹介する様をシニカルに観ているのでしょうか。
意味を空疎化し、激しい新陳代謝を繰り返す日本ファッションの
肯定も否定もせず、寡黙に熊本で店を営む意味を
模索しているように思えてきます。完璧では無く不完全な状態に、
なにか足りないくらいがちょうど良いと言わんばかりに。
 "なにか欠落しているお店"、"無関心なお店"とは、
ネガティブな意味ではないように思えます。
帽子から靴下まで揃うお店はたくさんあります。
少し車を走らせたらアウトレットモール、福岡にもすぐに行けます。
そんな中、意識的に日常に存在する洋服に、サブとなる物、
カウンター(オルタナティブ)となる物、
ずっと使われるであろう物を、
等身大でセレクトして提案するお店は少ない様に思えます。
これは、レトリックや負の相互扶助なのかもしれません。
そもそも文章自体座屈しているのかもしれません。
 
でも、「熊本でなぜ huit(8) を選んだのか?」っと、お店の名前のように、
色んな記号を鈍感に感じる空気と宮原さんの無関心な顔は
huit には内実しています。